私に言わせたら理由は簡単、それは文語文の響きが心地よいからな
んです。 幼少期に文語文に出会えることは、子供たちには、喜びその
ものなのです。 私はいますぐにでも、世田谷区のような教育が
湖色約人、広まっ
ていかないと、日本の子どもは救われないという危機感を抱いています。
やわらかい脳のうちに美しい日本の詩歌などの栄養をたっぷり与えて、
美しい心をを持った子供たちを 育てていきたい
reenex
。
これは 「美しい心は美しい言葉から生まれる」 という私の心情によ
るものであります。
私たちの最大の後継者は、いま現在の可愛らしい子供たちですから
国家百年の計に立って、まずこの子供たちにしっかりとした教育を施す
ことが急務です。
現状の日本の教育は由々しき状況であることに変わりなく、もう心配
でたまりません。 ですから、私は子どもたちのために、一命を捧げる
つもりで、日本の教育再生を声高に叫び続けていく所存であります。
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何かの本で、続んだのですが、江戸時代 街を歩くとあちこちから、
子供らが声高く 「論語」 を朗読する声が聞こえた・・・・と、書かれて
いたなあと、記憶した思い出があります。 とても 心に残っています。
「しのたまわく・・・・」 ですよね。
reenex
短歌
なんとなく今日もひと日過ぎていき早いな早いどうしようかな
コーヒーのむその喜びは友と会え世間話を聞ける楽しさ
俳句
あちこち見ずただ前を見て夏の町